ライデン大学はオランダで最も古い大学で、1574年の設立(織田信長の長篠の戦いが1575年)である。オランダと日本の関係は1600年のオランダ船の来航に始まるが、鎖国令以降は長崎出島に商館を持つオランダが日本の唯一の貿易国となった。シーボルトが医師兼調査員として1823年であり、明治維新の45年前に当たる。シーボルトは日本人に西洋医学を教える傍ら、彼らを通じて日本の植物標本、日用品その他を数多く収集したが、蝦夷地の地図を持ち帰ろうとしたことが発覚した「シーボルト事件」によって、1829年に日本を離れることとなった。これらの収集品は、ライデンにあるオランダ国立博物館に収容されており、また、持ち帰った植物はライデン大学植物園に植えられている。 ライデン大学植物園は運河に沿った入口から入る。温室と分類され得た野外の庭からなっており、その一部はシーボルト記念庭園として造園され、アジサイやカエデの木に囲まれてシーボルトの像が建っている。この植物園も設立が古いので、園内には巨木が多く、特に枝垂れブナの巨木は珍しい。 アムステルダムとベルギーのブリュッセルを結ぶ鉄道のライデン中央駅に降り立つと、南に1kmほどの運河沿いに植物園がある。訪問した10月2日は16世紀にライデンの町がスペインの圧政から開放された日であり、これを記念して盛大なお祭りがある。ライデン出身者がわんさと町に帰ってきて、夜を徹して騒ぎ楽しむ。静かなライデンの町を散策するつもりで出かけたが、この喧噪に巻き込まれた。それもまた良い想い出となった。 なお、シーボルトについては、大場秀章著 「花の男−シーボルト」(文春新書)がとても良い参考になる。 |